今回は「引っ越しの語源と引っ越し蕎麦の由来。引っ越し全般について」と題して、引っ越しの語源や引っ越し蕎麦の由来、1年に3回も引越ししていた江戸時代の「引越し魔」としても超有名な人は誰?など引っ越し全般について、面白おかしくお伝えします。
そもそも「引っ越し」とは?語源。
辞書によると「引っ越し」とは、
「人が生活する場所や活動する場所を他の場所に移すこと、またはその作業のことである。」住居、あるいは企業・団体の事業所などの移動がこれにあたる。
古くは「宿替(やどがえ)」「転宅(てんたく)」ともいう。事業所などの場合は「移転」と呼ぶこともあります。
引用元:Wikipedia
でも、それではなぜ「引っ越し」という言葉には、家の移動と関係ない「引く」と「越す」という字が使われているのでしょうか?
これには諸説ありますが、ひとつの説は、
昔、飛鳥時代(西暦600~700年頃)には、「身分が上がり屋敷を移動すること」を『引き越え』と呼んでいたそうです。それが江戸時代には「引き越す」という言葉が庶民の間でも使われるようになり、名詞形の「引越し」になったという説。
もう一つは、
「物を引っ張り、障害物の上を越えさせる」という意味で当時使われていた「引き越す」という言葉が、荷車に家財道具一式を乗せて、馬や牛などで引っ張って、それこそ山を越え、谷を越えて移動している、当時の引っ越しの様子にピッタリだったため、
photo credit: koalie 甲州犬目峠 (Le Col d’Inume), 1830 – Hokusai via photopin (license)
「引っ越しの様子」⇒「引き越す」⇒「引越し」に変化したという説。
どちらにせよ、江戸時代には「引越し」という言葉が一般庶民の間でも使われるようになりました。
江戸時代の引っ越しはどんな様子?
では、「引越し」という言葉が一般的になっていた江戸時代の引っ越しとはどういったものだったのでしょうか?
そもそも、大名や商家でもなければ、江戸時代(特に江戸(昔の東京)においては)、庶民は長屋に住むのが一般的でした。
長屋での生活には、今では考えられないほど物が少ない中での生活が垣間見えます。
夫婦2人の生活に必要な物と言えば、
布団二組、枕屏風、数枚の衣類、お盆と茶碗、お皿と箸が2組。鍋釜などの調理器具、あとは掃除道具の箒(ほうき)と雑巾。
至ってシンプル。着物を入れる箪笥(たんす)なんかは裕福でないと買えなかったから、当然無い。当然現代のように冷蔵庫やテレビなどの大型家電も無い。
また当時は、衣類から布団、家財道具など何でも貸してくれる「損料屋(そんりょうや)」=現代でいう「レンタル屋」があり、必要なものを必要な期間だけ借り、次に引越すときに返却してしまうことで、引越し荷物を必要最小限にできる便利な仕組みが、一般的に利用されていたことも大きいでしょう。
大型の家具が無いから、引っ越しの荷物もかなり小さく少なくまとまる。
大八車(だいはちぐるま)一つあれば、「引越し」なんて多くても数回運べば終わってしまいます。
photo credit: Dakiny Japanese Style Tea House in Shirakawa-go : 白川郷の茶屋 via photopin (license)
こういった生活スタイルであれば、ちょちょっと、気軽に引っ越ししてみようかという気にもなりますね。
また、江戸は「全国から様々な理由でやってきた人々(武士や商人、職人など)の集まり」であったから、人の出入りも激しく非常に流動性の高いものでした。
さらには「火事と喧嘩は江戸の華」ともよく言われたように、江戸では火事が多かったため、焼け出されてやむを得ず引越しせざるを得なかった人も多かったのでしょう。
これら様々な理由から、江戸時代は、「引越し」が盛んに行われていました。
なんと1年に3回も!江戸時代の引っ越し有名人
そんな江戸時代、富嶽三十六景などの浮世絵で有名な「葛飾北斎」は90年の生涯の中で、なんと『93回』も「引越し」をしたそうです。
時には、1年で3回引っ越したこともあるそう。
photo credit: sjrankin Great Wave off Kanagawa, processed 7 via photopin (license)
その理由がまた何ともすごいです。
絵描き(芸術家)である「葛飾北斎」だから、絵を描くこと以外には全く無頓着。部屋は散らかし放題。掃除もしない。
今でいう「ゴミ屋敷」ですね...
だから部屋が汚くなる度に「引越し」を繰り返したそうです。
そんな北斎よりも、全く掃除をせずに、家を引っ越すことができたという時代もすごいですが。
荷物が多いから引っ越しを諦めている方、いませんか?
江戸時代の人々のようにシンプルな物のみで生活する、ミニマリストになっては如何でしょうか?
そうすれば、よりよい生活を求めて常にどこかに「引越し」することも可能です。
但し「葛飾北斎」のような真似はいけませんが(笑)。
引っ越しと言えば「引越しそば」。その風習はどのように誕生した?
新島繁氏著「蕎麦の辞典」によると、引越し蕎麦は、
「江戸時代中期ごろから、江戸を中心として始まった風習だという。」
その為、大阪などの関西地域(上方)にこの風習はありません。
この「引越し蕎麦」には「蕎麦(そば)」と「側(そば)」を語呂合わせにして、ご近所さんの「側(そば)」に引っ越してきたので、「蕎麦(そば)」を配り、
『末永くあなたの側(そば)に』という意味合いを込めたという、江戸っ子らしい洒落(しゃれ)が効いていたり、
蕎麦の見た目から、「細く長くお付き合いください」という意味合いがあります。
当時の江戸では、引越ししてご近所へ挨拶に伺う時に、ご近所さんには蕎麦を『2つ』ずつ、大家さんには『5つ』配ったそうです。
photo credit: snakecats 「せいろ(1.5盛り)」 蕎麦流々 千角 – 京都 via photopin (license)
また、実利面(金銭面)での蕎麦の値段の安さもあり、
天保6年(1835年)に発行された「街廼噂(ちまたのうわさ)」という書物によると、
「江戸で引っ越しの際に蕎麦を配る理由は、二八蕎麦は2つでわずか32文(脚注:1文=約12円なので、現代の価値で384円)と、安上がりに済むことから始まった。」
と書かれています。
さらに、別の書物には、江戸時代の天皇家(皇室)でも、「転居(渡座)の際に引越し蕎麦を召し上がった」という記録が残っています。
このようなことから、江戸を中心とした地域では、庶民から天皇家まで、転居の際の「ご挨拶の品」=「引越し蕎麦」と相場が決まっていたようです。
後には、茹でた蕎麦や生蕎麦は日持ちしない為、受け取り側(ご近所さん)の都合がいい時に、蕎麦屋で蕎麦と交換できる「そば切手」という商品券に形を変えていきました。
この風習は、その後も明治時代から大正初期までは盛んに行われていましたが、昭和の時代に入り、ご近所さんや大家さんにあいさつ回りをすることが減るとともに、「引越し蕎麦」の風習が廃れてしまいました。
しかし現代でも、菓子折りや日用品を持って挨拶に行くという形で、しっかりと想いは受け継がれています。
引っ越しとはプロジェクトである。(計画の立案と進捗管理が重要)
さて、ここまでは、引っ越しの起源とそれにまつわる風習などを紹介して、面白おかしく進めてきましたが、初回最後に「引っ越し」について一言厳しいことを言わせてもらいます。
引っ越しとはプロジェクトである。(計画の立案と進捗管理が重要です。)
これは、今まで私が10年で7回引っ越しを繰り返してきた経験からも断言できます。
最初の内は行き当たりばったり(力技)で進めていた私自身の引っ越しでしたが、計画を立てずにやると、こんなに効率の悪いことはないと身に染みて分かりました。
仕事でもなんでもそうですが、「段取り(事前準備)8割」で、成功するかどうかはほとんど決まってしまいます。
引越しの準備や断捨離の方法については、こちらの記事もすごく参考になると思います。
photo credit: marcoverch Klebezettel mit Notiz via photopin (license)
以下に挙げるポイントを押さえ、あなたは必ず「失敗しない引っ越し」にして下さい。
・実際の引っ越し準備作業に入る前に、入念な計画を立てる事が必要ですが、実行可能な計画を立ててしまったら、あとはスケジュールに従って淡々と作業をこなすのみです。
・転勤などで、2週間前に急に引っ越しが決まった場合は?
引っ越し作業に充てられる残り時間から逆算して、あなた自身ができる作業量(作業時間)を明確化しましょう。それ以外の作業は、引っ越し業者や奥さんなど、あなた以外が作業するように外注化すれば問題ありません。
・あなたが想定していたより、作業に時間がとられることも多々あるので、引っ越し当日までのバッファー(予備日)は確保しておくこと。(最低でも3日)
・知り合いのある人は、引っ越し前、やることが多すぎ終わらなく、引っ越し直前3日間は睡眠3時間で深夜まで作業をしていたと聞いたことがあります。あまり無理をし過ぎると、正確な判断が出来なくなったり、ミスをしたりするようになるので、そうならないようにしっかりした計画と、ある意味の割り切りも必要です。
・上記に関連して、掃除など完璧に綺麗にして明け渡すと、敷金の戻りは多いですが、時間がないならそのままにしてしまうのも仕方がないことです。ここまでで諦めるというデッドライン(期限)の設定が大事です。
次回は、
についてお伝えします。
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